河南省歴史
河南の歴史
河南省は中華民族の発祥地と言われるように、数十万年前にはすでに人類が居住していた。
8000年前から5、6000年前に裴李崗文化、仰韶文化、竜山文化が次々と出現している。伝説では伏義、黄帝などもここを拠点としていた。夏王朝は嵩山、洛陽を中心とし、大禹の治水もこの場所。
省都・鄭州を中心に広がるこの省は、人口8500万人を抱える大省で。 太古、黄河文明を育み、その流れをくむこの地は、中国史上幾多の王朝が首都を置き、今に至るまで多くの史跡を残している。
殷商時代にもここには相当発達した文明が栄えていた。安陽近郊の村、小屯で、殷代の遺跡(殷墟)が見つかり、多くの甲骨文が発掘された。
春秋時代は宋国、衛国、鄭国に所属、秦時代に南陽郡を設置。漢時代には豫州に所属、唐時代に河南道を設置、元時代になって河南行省を設置してから現在まで至る。河南省という名称は清代になってつけられた。
鄭州郊外には、黄河が堂々と流れている。 河南省で内陸河川になりつつある、勢いの衰えている黄河だが、正に中国の歴史は、黄河との戦いの歴史であったといっても過言ではない。
古代文明の後、漢、三国志時代の魏、宋などが都を置き、フビライ・ハンの元が中国を制圧するまで、ここは中国史の主要舞台の一部を担っていたと言えるだろう。元が北の草原に逃げ去った後、漢族は政権を取り戻し、歴史の中心は元の首都・大都(北京)を引き継いだ明により、そのまま北京が歴史舞台の中心となり、河南は歴史に取り残されていった。
河南を旅すると、過去の栄華を極め素晴らしい文明を築いた王朝の息吹が聞こえてくるかのようだ。
古代中国の歴史の中心地であり、古くは中原・中州と呼ばれた。