河南省歴史
中国の世界遺産 龍門石窟

河南省の古都、洛陽の南約12キロメートルにある伊水(いすい)河岸の山肌に広がる石窟。敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟のひとつで、2000年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
竣工は北魏の孝文帝が洛陽に遷都した493年前後。その後、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐までの約400年間、歴代王朝によって築造が続けられていった。蜂の巣状に広がる石窟の数は大小あわせて約2100以上、石刻像は約10万体におよぶ。
代表的な石窟は「奉先寺洞」「古陽洞」「賓陽洞」「薬方洞」など。龍門石窟のうち最大の石窟が「奉先寺洞」で唐代に造営されたもの。則天武后を模したとされる高さ約17メートルの廬遮那仏(るしゃなぶつ)は仏教石刻の最高傑作と評されており、龍門石窟のシンボル的存在でもある。
「古陽洞」は龍門石窟の中で最古のもので、完成は499年頃とされる。「賓陽洞」は北、中、南の3つの洞に分かれていることから「賓陽三洞」とも呼ばれ、中洞には本尊である如来坐像が据えられている。「薬方洞」は、薬の調合方法が記されている珍しい石窟。
龍門石窟は「龍門二十品」と呼ばれる造像題銘記でも知られており、そこに記された芸術性の高い願文や由来文は中国書道の資料として重要視されている。
最寄りの空港は洛陽北郊空港だが、便数の多い鄭州空港を利用する方が比較的便利。いずれも日本からの直行便はないので北京や成都、上海で乗り継ぐことになる。西安や殷墟と龍門石窟観光がセットになったツアーもあるが、種類はあまり多くない。
※竜門石窟には、私も2回行きました。川沿いの崖に約15万体の石仏が彫り(掘り)こまれています。
(誰がどのようにカウントしたのでしょうか?)でも、普通に手の届く範囲の石仏の顔が少なからず欠けており、痛々しく感じたのを思い出します。多分、盗掘にあったのだと思いますが・・・。巡回路の入り口から入り、最後まで見終わったところに、船着場がありました。私は寒かったこともあり(2006年12月)船に乗りましたが、川から見る竜門石窟も大変素晴らしかったです。もし行かれることが有りましたら、帰りは船に乗ることをお勧めします。(当時は一人30元でした)
河南省開封市の「城の上に城」展示館が開放
河南省開封市の城壁大梁門北側の「城の上に城が重なる」展示館が2007年11月20日、市民に開放された。

古都開封市は歴史的な戦乱と黄河の氾濫で幾度となく埋没、その都度市民は元の場所に再建、古城は地下の深い場所で幾層にも重なっていった。

開封(Kāifēng)は、中華人民共和国河南省東部の都市。中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋代に首都となった。総面積6444平方km。
河南省焦作、大型漢墓群を発見
河南省焦作市の考古学者はこのほど、温県南張羌鎮徐溝村北で大型の古墓群を見つけた。発見された墓穴は50ヵ所を超えた。
この古墓群は徐溝村と冉溝村北部に位置する。「南水北調プロジェクト(長江流域の水を中国北部に送るプロジェクト)」の工事現場で発見された、前漢(紀元前206~紀元8年)・後漢(25~220年)時代の墓を主とする古墳群である。2007年3月中旬から焦作市文物工作隊と温県文物管理所は墓穴の発掘作業を行い、陶、銅、鉄など文化財200点余りが出土した。
この古墓群は「南水北調プロジェクト」の工事現場で発見された最大規模の漢代墓群で、漢代の社会政治経済形態の研究に資料を提供し、当時の手工制作技術や墓の制度、風習などの研究につながる。
河南の歴史
河南省は中華民族の発祥地と言われるように、数十万年前にはすでに人類が居住していた。
8000年前から5、6000年前に裴李崗文化、仰韶文化、竜山文化が次々と出現している。伝説では伏義、黄帝などもここを拠点としていた。夏王朝は嵩山、洛陽を中心とし、大禹の治水もこの場所。
省都・鄭州を中心に広がるこの省は、人口8500万人を抱える大省で。 太古、黄河文明を育み、その流れをくむこの地は、中国史上幾多の王朝が首都を置き、今に至るまで多くの史跡を残している。
殷商時代にもここには相当発達した文明が栄えていた。安陽近郊の村、小屯で、殷代の遺跡(殷墟)が見つかり、多くの甲骨文が発掘された。
春秋時代は宋国、衛国、鄭国に所属、秦時代に南陽郡を設置。漢時代には豫州に所属、唐時代に河南道を設置、元時代になって河南行省を設置してから現在まで至る。河南省という名称は清代になってつけられた。
鄭州郊外には、黄河が堂々と流れている。 河南省で内陸河川になりつつある、勢いの衰えている黄河だが、正に中国の歴史は、黄河との戦いの歴史であったといっても過言ではない。
古代文明の後、漢、三国志時代の魏、宋などが都を置き、フビライ・ハンの元が中国を制圧するまで、ここは中国史の主要舞台の一部を担っていたと言えるだろう。元が北の草原に逃げ去った後、漢族は政権を取り戻し、歴史の中心は元の首都・大都(北京)を引き継いだ明により、そのまま北京が歴史舞台の中心となり、河南は歴史に取り残されていった。
河南を旅すると、過去の栄華を極め素晴らしい文明を築いた王朝の息吹が聞こえてくるかのようだ。
古代中国の歴史の中心地であり、古くは中原・中州と呼ばれた。